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千葉地方裁判所八日市場支部 昭和35年(ワ)83号 判決

判   決

千葉県山武郡成東町成東三九三番地

原告

大塚卓爾

東京都千代田区霞ケ関一丁目一番地

被告

右代表者法務大臣

植木庚子郎

右指定代理人

宇佐美初男

南昇

金氏重信

高木惣太郎

右当事者間の昭和三十五年(ワ)第八三号損害賠償請求事件につき当裁判所は次の通り判決する。

主文

被告国は原告に対し金十万円及びこれに対する昭和三十五年十月二十日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告は、主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、

一、昭和三十二年八月二十一日、千葉地方検察庁八日市場支部検察官検事高木陸記(以下高木検事という)は、千葉地方裁判所八日市場支部に対し、染屋こと原告を「被告人は昭和二十九年三月十六日頃、同人外二十五名の共有にかかる、山武郡成東町白幡千五百三十九番、木造便利瓦葺平家建工場一棟、建坪六十坪及び同工場内の機械類を、合計金七万三千五百円にて、共有者を代表して加藤清に売渡し所有権を移転し、同人に対しこれが所有権移転登記をすべき義務を負担するに至つたが、右建物は未登記にして、家屋台帳の上の所有者は、共有者等の事業上の名称である、社団法人房総同郷会成東分会(社団法人房総同郷会とは法律上無関係なるも事業上の便宜上潜称)名義となつていたので、そのまま右加藤のため管理中、該建物の所有権を自己が取得してこれを横領しようと企て、東金簡易裁判所に対し、社団法人房総同郷会を被告として、前記売買の事実を秘して該建物の所有権は自己にある旨の確認判決を求め、被告不出頭のまま同裁判所を欺罔して、昭和二十九年十二月十六日、該訴訟の原告たる被告人に請求どおり、右建物の所有権がある旨の確認判決をなさしめ、同判決に基き昭和三十年九月十三日、成東町所在千葉法務局成東出張所において、右所有権保存登記申請をなし、自己のためほしいままに所有権保存登記をして、右建物一棟を着服してこれを横領したものである」との公訴事実を以て、横領罪侵犯の容疑の訴因を以て起訴、同支部昭和三十二年わ第九二号横領被告事件として係属公判開廷八回の審理の結果、昭和三十三年六月五日原告無罪の判決(以下無罪判決という)言渡あり、検事控訴なく同判決は確定した。

二、右公訴事実中において、「家屋台帳の上の所有者は共有者等の事業上の名称である社団法人房総同郷会成東分会(以下分会という)(社団法人房総同郷会(以下同郷会という)とは法律上無関係なるも事業上の便宜上潜称)名義となつていた」と、高木検事は主張し、証拠として昭和三十二年七月九日成東町長作成の回答書(以下回答書という本件提出の甲第二号証)を挙げている。

三、然るに、右回答書は、その内容が偽造である。なんとなれば原告の成東町長に対する責任追究により、同町長は成東警察署長宛に、右回答書の訂正書(以下訂正書という本件提出の甲第三号証)を昭和三十三年八月二十一日付で発行したのであるが、既に前記無罪判決は確定後であり、訂正書は刑事記録にも綴込まれていない。

四、町村自治体は、所有権の存否、所有権の証明等権利義務に関する証明の権能はなく、従つて右回答書は権限外の文書で、何等の証明力なく且又その内容において偽造にかかるものであるから、高木検事が原告を被疑者として取調べるに当り、原告の供述を求めたならば、右回答書の内容の偽造も、証明力の無いことも判明したはずで、この点につき同検事は犯罪捜査上の注意を怠つたものである。

五、右公訴事実中には、「そのまま右加藤のため管理中」と、なつているが無罪判決においても見られるように、加藤清ないし加藤静が現実に占有管理していたことは、捜査すれば当時判明することで、この点につき高木検事は捜査上の不注意をおかしたものである。

六、右公訴事実中には「被告人は昭和二十九年三月十六日頃、同人外二十五名の共有にかかる、山武郡成東町白幡千五百三十九番木造便利瓦葺平家建工場一棟建坪六十坪及び同工場内の機械類を合計金七万三千五百円にて共有者を代表して」となつているが、右建物等(以下右公訴事実中の建物及び機械類を指す)が共有物か、原告個人の所有物かは、後記藁工品の製造販売の主体が、民法の組合か商法の匿名組合かによつて決定するものであり、原告は成東警察署における取調べに当り、当時原告を営業者とする藁工品の製造加工販売を業とする匿名組合であり、従つて右建物等は原告の所有財産である旨供述している。従つて高木検事が捜査上この点に十分な注意を払つたならば、錯誤の下に原告を起訴しなかつたであろう。なんとなれば原告は、昭和二十一年十二月初旬訴外土井嘉一郎外十六名に対し、庶民金庫から融資を受けてこれを出資すること、営業上の利益は分配すること、の約旨で各人別に勧誘してその承諾を得て、同年同月末頃、同金庫から一人当り金五千円但し原告及び土井嘉一郎のみは金二千円宛合計金八万四千円を借り出して、出資を受けこれを事業資金として公訴事実記載の建物等を購入し、更に翌二十二年五月中、訴外伊庭正治外七名に対し前同様約旨で、個別的に同金庫から一人当り金五千円宛借り受けて、合計金四万円の出資を得たものである。右の事実に基き即ち以上二十五名の出資者(以下出資者という)の出資を得て右事業を営んだもので原告は原告を営業人とする匿名組合であり、出資金は営業人の財産となり、それにより購入した右建物等は原告所有のものであるからである。

七、右公訴事実中には「被告人は昭和二十九年三月十六日頃……共有者を代表して加藤清に売渡し」となつているが、昭和二十九年四月五日、旧社団法人房総同郷会成東分会整理員代表太田貞美は、別の新契約を右の同一物件である建物等につき、訴外加藤清との間に結び、金七万三千五百円を受取つて売渡している。しかも原告に対し、書留内容証明郵便を以て、右の売却の事実を通知している。この点を観過したのこそ高木検事の捜査上の不注意によるものであつて、告訴人加藤清の誣告、関係参考人の虚偽の申告により、虚構の事実を捏造したものである。

八、原告の地位経歴は、旧制県立成東中学校卒業、財団法人東京歯科医学専門学校四年中途退学後家庭にあつたが、昭和十三年頃支那派遣軍総司令部渉外部軍属として従軍、三、四年在職し、次で昭和十七年頃上海信託株式会社経理主任となり、終戦により昭和二十一年引揚げて帰郷し、その後分会なる名称の下に、藁工品の製造販売の事業を営んでいたもので旧性は染屋である。よつて以上のように高木検事は、捜査上必要な注意を怠つたため、真実を把握し得ざるまま事実を誤認して原告を被告人として起訴したものであつて、これがため二カ年にわたる原告の物質的損害の外名誉権の侵害及び精神的損害は莫大であるが、物質的損害賠償請求権は放棄して、右の権利侵害により原告に与えた損害は国において当然賠償すべきものであるから本訴において慰藉料として金十万円及びこれに対する訴状送達の翌日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。

と述べ被告の主張に対し、

九、被告は回答書が偽造であることは否認すると抗争するが、成東町役場保管の家屋台帳上には、所有者の表示として「社団法人房総同郷会成東分会染谷卓爾」とあり、名義人名称訂正にて所有者の表示を大塚卓爾と訂正してある。しかるに右回答書には前所有者の氏名照会に対し社団法人房総同郷会成東分会と記載してあるが、右は何等の根拠なく、家屋台帳にも符合しないから偽造文書であり、仮に前所有者を社団法人房総同郷会成東分会染谷卓爾であつたとしても、単なる分会と同一視するものであるならば、あらためて先に発行した回答書の訂正書を発行する理由も必要もない。又これを被告の主張のように、右社団法人の代表者として染谷卓爾を表示したものと解されると言うに至つては、家属台帳が誤つているという認識の上に立つて、回答書に単に分会として記載したもので言うまでもなくこれ又偽造の文書である。

十、被告は右回答書作成権限が成東町長にあると抗争するが、町役場保管の家屋台帳は、役場における課税上の補助簿であつて、権利得喪移転を知るためには、未登記の場合は法務局の家屋台帳の謄本を以て証明に供すべきもので、成東町役場が右回答書を発行したのは、越権行為であると共に、右回答書を措信し原告を起訴したのは高木検事の過失である。

更に高木検事は右回答書を以て「本件建物は公訴事実記載の如く前所有者は、家屋台帳の面では社団法人房総同郷会成東分会となつている事実」を立証事項として提出していること自体からも、その過失は明白である。

十一、昭和二十九年三月十六日、原告と訴外加藤清との間に本件建物等について売買の話合の結果、代金支払と同時に登記手続を経てその所有権を移転する内容の契約をしたのは、登記して初めて契約の法律的効果を得ようとするものであつた。本件建物は未登記でありこれを保存登記をするには、家屋台帳上の所有者の記載が何人の所有を指すものか不明であつたため、その保存登記をすることが困難の由聞いていた。そこで社団法人房総同郷会(本部)と、原告との共有者が、手続上売渡人としての形式を取る意思であつたが、同郷会(本部)は当時すでに解散決議がしてあり、右の手続を取ることも困難であつたため、登記が不可能となつた。

よつて一度右の契約は双方合意の上解約をしたが、その後訴外加藤清は登記は出来なくも何れ建物は取りこわして改築するから、登記は出来なくてもよいから代金を受取つてくれと原告に申込んできたが、原告はこれを拒絶した。しかるに訴外加藤清は、出資者と本件建物等につき新なる売買契約を結び、昭和二十九年四月五日整理員代表訴外太田貞美から、売渡証の交付をうけて代金を支払つた。又右訴外太田貞美からは右代金を国民金融公庫からの借入金で、出資に当てていた債務の支払に充当した、との書留内容証明郵便の通知があつた。

昭和二十九年四月五日付旧社団法人房総同郷会成東分会成東製繩工場整算会議事録(甲第九号証)、旧社団法人房総同郷会成東分会整理の件と題する書留内容証明郵便(甲第五号証(売渡証(甲第四号証)の三点によれば、昭和二十九年四月五日右太田貞美と加藤清間に、同年三月十六日付の原告と加藤清間との契約とは、全々無関係な別個の売買契約を結んだものである。高木検事は当然右議事録及び内容証明郵便の副本を入手したはずであり、これを法廷に証拠として提出しなかつたのは、本件起訴が高木検事、告訴人、証人等の創作した公訴事実、即ち昭和二十九年三月十六日の原告及び加藤清間の契約に基き、同年四月五日売渡代金の受授をしたものであるとの主張に、矛盾するものであるからである。

十二、更に、

(一)「共同で藁工品の製造」とか「共同出資者を代表して」とかと共同と主張しているが、共同というためには何か具体的に、何年何月何日、何処で何々の話合をして、何々につき契約をしたとかの事実がなければならない。即ち契約である以上各当事者が会合して契約しなければ共同ではない。又逆に、個別的に勧誘して出資の承諾の下に、金庫からの融資を受けて出資した事実を認めながら、これを共同と主張するのは、矛盾も甚しい。又「他方前記八名の者も先に出資した十八名の者の反対を受けることなく」と主張しているが、先の出資者に対し後の出資者からその承諾を得たり、先の出資者に相談をした事実はない。

(二)「組合」というからには組合契約がなければならず、その具体的事実を立証する必要があり。「原告は前記二十六名の代表者として」といつているが、右は事実に反する。又「家屋台帳上の所有名義人である社団法人房総同郷会を被告として」と主張しているが、家屋台帳上では社団法人房総同郷会成東分会染屋卓爾となつていて、同分会のものか又は同分会と染屋卓爾(原告)の共有のものか不明であり、保存登記が不可能であるため、これを訂正しなければ登記が出来ない事由のため同郷会を被告として提訴したものである。

(三)「原告は昭和二十九年三月本件建物を組合員二十六名の代表者と称して」と主張しているが、同年三月十六日の契約書に「共有者を代表して」としたのは、家屋台帳上で所有者の表示が分会と染屋卓爾との両者の共有として記載されているため、家屋台帳と符合させるため、共有者を代表して記載したのである。又「他の組合員から何らの異議も述べられなかつたものであるから訴外伊庭正治ら八名の者は黙示の承認により」と主張しているが、異議がなかつたから黙示の承認とはならない、黙示とは意思ある具体的挙動であつて何等その立証もない。

(四)「昭和二十九年三月十六日の契約によつて、建物所有権は訴外加藤清に移転していて、代表者太田貞美はその代金を受領したものにすぎないと主張しているが、右の主張は同年四月五日太田貞美等が加藤清と新契約を結んだ事実に反する主張である。なんとなれば、右三月十六日の契約においては代金授受は登記完了後となつているので、登記が不能である以上代金の授受は出来ないはずだからである。

と述べ更に被告の反論に対し、

十三、(一)昭和二十九年三月十六日原告と訴外加藤清間の契約は契約書(甲第七号証)の第三項により不能に終つたもので無効のものである。

従つて訴外加藤清は右代金支払義務を免れることとなるのに、本件建物等の所有権を取得する理由はない。実際上の事実問題として不動産の売買において売主が代金の交付を受くることなくして、目的物の所有権を相手方に移転するの意思を有せざることは勿論である(乙第六号証の三及び四参照)

(二) 建物の占有につき乙第六号証の三及び四の証人加藤清及び加藤静の各尋問調書によれば、加藤清が本件建物を占有していた事実を述べている。これこそ高木検事が原告を横領罪で起訴するに当り重大な過失を犯したものというべきである。

(三) 乙第十六号証の一高木検事の上申書中の第五枚目第一行に「家屋台帳には社団法人房総同郷会成東分会染屋卓爾として登載されているのであるから」と述べてあるが甲第一号証起訴状甲第十一号証検察官証拠申請書によれば、家屋台帳面では分会となつているとして、回答書甲第二号証を提出している。よつて高木検事は起訴の時と右報告書作成のときと事実に対する考えの変つた理由を述べていない。何れにしても登記は不能であつたことは捜査上判明していたのを観過したこと又起訴当時原告に占有があると見るのは同検事の過失である。

(四) 高木検事は組合契約の具体的事実を述べず又立証もしていないのに、本件建物等が共有物であると即断して起訴したのであるから無罪判決は組合であると事実認定はしているけれども何等の証拠にもよつていない。

と述べた。

立証(省略)

なお甲第二号証の写は左記の通りである。

(甲第二号証写)

成税号外

昭和三十二年七月九日

成東町長 小出安栄昌

成東警察署長殿

照会に対する回答について

昭和三十二年七月一日貴発東捜二第六五一号により標題の件左記の通り回答いたします。

一、山武郡成東町成東三九三番地

大 塚 卓 爾

右者所有の不動産の表示

一、山武郡成東町白幡一、五三九番地家屋番号白幡一三〇番の三

一、木造便利瓦葺平家建工場建坪六〇坪一棟

右不動産の前所有者の住所氏名又は名称

住所 台帳記載なし

名称 社団法人房総同郷会成東分会

被告指定代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、答弁として

一、前記請求の原因第一項、第二項は認める。

二、前記請求の原因第三項中、成東町長の訂正書の発行、そのころ既に原告の無罪判決が確定していたこと、右訂正書が刑事事件記録に綴込まれてない事実は認めるが、成東町長の回答書が偽造であるとの主張は否認する。即ち成東町役場保管の家屋台帳上には、所有者の表示として「社団法人房総同郷会成東分会染屋卓爾」とあるのを、回答書には単に「社団法人房総同郷会成東分会」となつてはいるが、前者は社団法人の代表者としての染屋卓爾を表示したものと解されるから、右回答書の内容は虚偽であることにはならない。

三、前記請求の原因第四項は否認する。なお成東町長には地方自治法第二条第二項、刑事訴訟法第一九七条第二項により回答書の作成権限がある。

四、前記請求の原因第五項中、刑事判決において「訴の提起ないし保存登記手続当時、既に本件建物は加藤清ないし加藤静の現実に占有管理」していたものと認定されたことは認めるが、その余は否認する。

五、前記請求の原因第六項中、起訴状記載の公訴事実中にその主張のような事実の記載のあること、原告が成東警察署における取調当時から、同人とその他の二十五名の出資者との関係につき、匿名組合であり、本件建物等は原告の所有財産であると供述していたこと、庶民金庫から原告外二十五名が、合計金十二万四千円を借受けこれを共同事業に出資したことは認めるが、その他は否認する。

六、前記請求の原因第七項中、起訴状記載の公訴事実中にその主張のような記載のあることは認めるが、その他は否認する。

七、前記請求の原因第八項中地位経歴を除きその他はこれを争うものである。

と述べ被告の主張として、

八、本件建物等の購入の経緯については、

(一)  原告は、引揚者の厚生を図るため、共同で藁工品の製造を企図し、昭和二十一年十二月初旬ごろ、訴外土井嘉一郎とともに、千葉県山武郡成東町在住の引揚者に対し、訴外国民金融公庫から融資をうけて、右事業に出資するよう個別的に勧誘してその承諾をえ同年十二月三十日、右公庫から原告と訴外人等十八名が連帯して一人当り五千円(但し原告および訴外土井嘉一郎は二千円宛)合計八万四千円を借りうけ、これを右事業に出資し、そのころ、原告および訴外土井嘉一郎が右共同出資者を代表して、訴外斎藤旭から本件の建物を、右出資金のうちから、二万三千円を支払つて買いうけ、更に藁工品製造に必要な機械類を右出資金から支払つて購入して本件の建物に備付け、成東町共同作業所なる名称のもとに、藁加工品の製造事業を開始した。

(二)  ところが間もなく資金の不足を来たすようになつたので、原告および訴外土井嘉一郎は、更に成東町在住の他の引揚者に対し、個別的に右組合への加入を勧誘した結果、訴外人等八名の同意をえ、かつ同人らは昭和二十二年六月五日前記公庫から連帯して一人当り五千円宛、合計四万円を借りうけそのころこれを右組合に出資したので、その出資金より機械類を購入し、本件の建物に備付けた。そして、右組合は、その後資金の融資、補助金の交付等をうけるに便宜のため、その名称を社団法人房総同郷会成東分会と僭称し、本件建物も「社団法人房総同郷会成東分会染屋卓爾」名義で家屋台帳に登載されていたが、他方前記八名の者も先に出資した十八名の者の反対をうけることなく、これと同等の立場で前記事業に参画し、かつ総会にも出席して、出資金の一割に相当する利益金の配当をうけていた。

九、本件建物等の売却の経緯については

(一)  その後前記組合は事業不振となり、昭和二十六年頃には総会において本件建物等を売却して借入金の返済に充てるべきだとの議も出て、終に右事業を中止していたところ、右借入金の弁済方を請求されたので、昭和二十九年三月十六日原告は前記二十六名の代表者と称して訴外加藤清に対し、本件の建物および備付の機械設備一切を、代金七万三千五百円、代金は所有権移転登記手続後に授受する約定のもとに、売渡した。次で原告は、個人で右公庫に対し、事業資金の貸与方を求めたが拒絶されるや、訴外加藤清に対し、所有権移転登記がなされないにもかかわらず、右代金の支払いを求める等のことがあつたため、前記出資者のうち、訴外大竹鐸雄ら十四名の者は、原告に不安を抱くに至り、前記共同事業の整理に関する一切の権限を、訴外太田貞美に委任し、同人は昭和二十九年四月五日訴外加藤清から右売買代金七万三千五百円の交付をうけて、これを前記借入金の弁済に充てた。

(二)  更に原告は昭和二十九年十一月十二日本件の建物の所有権が自己にあると称して、家屋台帳上の所有名義人である同郷会を被告として、東金簡易裁判所に対し、本件の建物の所有権確認の訴を提起し、同年十二月十六日被告欠席のまま、原告が本件の建物の所有権を有することを確認する旨の判決をうけ、更に昭和三十年二月十八日原告の住所を更正する旨の決定をうけ、これにもとづき、昭和三十年九月十三日千葉地方法務局成東出張所において同日受付第一、〇二一号をもつて本件建物の所有権保存登記手続をした。原告は、昭和三十一年十月十五日付売買契約にもとずき、訴外染屋宏憙(原告の長男)に対し、昭和三十二年一月十二日所有権移転登記手続をした。

十、本件捜査並びに起訴の経緯は、昭和三十二年二月頃訴外染屋宏憙は、訴外加藤清を被告として、東金簡易裁判所に対し、本件の建物の明渡を求める訴を提起し、訴外加藤清にその訴状が送達されたので、同人は驚き、登記簿等を調査したところ、以上の事実が判明した。そこで同人は原告および訴外染屋宏憙を被告として、昭和三十二年二月十四日登記原因の無効を理由に、登記抹消請求の訴を提起するとともに同年三月十二日原告を詐欺罪で成東警察署に告訴し、右事件は、同年五月六日千葉地方検察庁八日市場支部に送付された。同支部検察官高木検事は、訴外加藤清、森田太一、原告らを取調べたうえで、昭和三十二年八月二十一日原告を在宅のまま、横領罪で千葉地方裁判所八日市場支部に起訴し、昭和三十三年六月五日無罪の判決が言渡された。

十一、検察官高木検事の本件起訴は違法ではなく又過失もない。

即ち

(一)  原告は高木検事の本件起訴に過失があるとして、(イ)成東町長作成の回答書は内容虚偽のものであるから、これを原告に示して弁解をきけばその虚偽であることが判明したはずであるのに、それをしなかつたこと。(ロ)原告を本件建物等の占有者と誤認したこと。(ハ)本件建物等の所有者は原告であるにかかわらずこれを組合員の共有と誤認したことを主張しているがまづ(イ)の点については、既述のように、回答書の内容は虚偽ではないから、原告の主張は、その前提において誤つているのみならず担当検事は起訴に当り、本件の建物の所有権が右回答書記載のように分会に属するものと認めたものでもなく、また右回答書により本件の建物の所有権が原告にないと認めたものでもないから、右回答書の内容いかんは本件起訴を左右するものではない。次に(ロ)の点については、前記のように原告は昭和二十九年三月本件建物等を組合員二十六名の代表者と称して訴外加藤清に対し売渡していて、その後は組合において右建物を使用していなかつたばかりでなく、訴外加藤清も少くとも原告が所有権確認の訴を提起した当時である昭和二十九年十一月十二日ごろはまだこれを工場として使用していなかつたことが窺われ、従つてその現実の占有使用関係は必ずしも分明であつたものとはいえないうえ、家屋台帳上には、原告が指導的立場にあつた右組合の便宜上の名称である分会の所有と見られるような表示が存していて、訴外加藤清名義に直ちに所有権移転登記をすることができない状態にあつたのであるから、高木検事において、原告がこれを管理していたと確定したことはまことに無理からぬものといわなければならない。

また(ハ)の点については、本件建物は共同で藁工品の製造等の事業を営むため、当初原告ら十八名の引揚者が出資した八万四千円のうち、二万三千円で購入し、更に右出資金から機械類を購入し、本件の建物に備付けたものであるから、右組合員の共有に属するものであり、その後訴外伊庭正治ら八名の者から四万円の出資をえて事業資金とし、右資金で機械類を購入し、本件の建物に備付けたものであつて、他の組合員から何らの異議も述べられなかつたものであるから、訴外伊庭正治ら八名の者は黙示の承認により、適法に右組合に加入したものというべく、本件建物等は、各出資者の共有に属するものである。この点は無罪判決においても同様に認定されているところであつて、原告の主張のように、匿名組合であると認むべき資料は存しなかつたのであるから、高木検事が本件建物を組合員の共有と認めたことは相当であり、仮に百歩を譲り、その実体が匿名組合であつたとしても、高木検事が本件建物を組合員の共有と認めたことには過失がない。従つてこの点に関する原告の主張も失当である。

(二)  原告は昭和二十九年三月十六日他の共有者を代表して、訴外加藤清と本件建物等について売買契約を締結しているのであるから、同日本件建物等の所有権は訴外加藤清に移転しているものであつて、訴外太田貞美は、その売買代金を受領したものにすぎないから、これに反する事実を前提とする原告の主張はいずれにせよ失当といわなければならない。

十二、本件起訴は違法ではなく、原告には損害もない。即ち、前記のように、原告は、昭和二十九年三月十六日訴外加藤清に対し、訴外組合員を代表して、本件建物等を売渡したのであるから、同日本件建物等の所有権は訴外加藤清に移転しているものというべきである。にもかかわらず、原告は同年十一月十二日東金簡易裁判所に対し、訴外同郷会を被告として、本件建物は自己の所有である旨虚構の事実を申立て、同年十二月十六日原告勝訴の判決をうけて、昭和三十年九月十三日千葉地方法務局成東出張所において、本件建物について、不実の所有権保存登記をなしたものである。従つて右事実が公正証書原本不実記載、同行使罪を構成することは明らかである。なお学説によれば窃盗罪或は詐欺罪を構成するとするものもある。従つて検察官において、本件起訴にかかる公訴事実ならびに罪名罰条について、訴因変更の手続をとれば、原告は有罪判決をうけたことは明らかである。しかるに、検察官は刑事手続においてその手続をとらなかつたため、無罪となり、その判決が確定し、原告はその既判力(一事不再理)によつて、右同一事実につき再度刑事訴追をうけ、有罪判決をうけえないことになつたにすぎないものである。このように起訴にかかる主要事実が何らかの犯罪を構成する場合においては、検察官において単にその法律構成を誤り、そのため無罪の判決がなされたとしても、その事実自体は社会的非難を受け、刑事訴追に値するものであるから、これを起訴したということ自体は決して違法なものではない。それは起訴すべからざるものを起訴したのではなく、正に起訴べきものを起訴したものであるからである。検察官においてその法律構成を誤つたという過失はあるかも知れないが、それは検察官としてその職務に対する関係における過失であつて、原告に対する関係においては過失ではない。原告は高木検事の右過失により無罪判決をうけ、そのため、利益をうけることこそあれ、何ら損害を蒙ることはありえないから、それは原告に対する損害賠償の原因となる過失ということはできない。けだし、原告には検察官がそのような過失を犯さないこと、換言すれば自己が有罪判決を受けるように起訴することを求める権利ないし法律的利益があるとは到底考えられないからである。従つてこの点よりするも原告の本訴請求は失当である。

と述べ更に原告の主張に対し、

十三、原告の主張である前記第十一項の昭和二十九年三月十六日原告と訴外加藤清との間の本件建物等の売買契約は、契約と同時に所有権を移転するものではなく、代金支払と同時に登記手続の履践をまつて、はじめてなさるべきものとのこと及び昭和二十九年四月五日訴外太田貞美と訴外加藤清との間の新契約であるとのことの主張は、その主張の前提自体が失当であつて、むしろ高木検事の認定が正当であることは、東金簡裁昭和三十二年(ハ)第五号、千葉地裁昭和三十四年(レ)第四三号、東京高裁昭和三十五年(ツ)第三四号事件の、原告、被控訴人、被上告人であつた訴外加藤清と、被告、控訴人、上告人であつた大塚卓爾(本件原告)、訴外染屋宏憙間の確定判決によつても明かなように、右上告審判決において「(イ)昭和二十九年三月十六日本件建物等の共有者であつた組合員二六名を代理する原告と訴外加藤清間に本件建物等の売買契約が成立しこの売買契約により同日訴外加藤清は本件建物等の所有権を取得したこと、(ロ)右売買契約において代金の支払は後日なさるべき所有権移転登記と同時にこれをなす約定であつたこと、(ハ)右売買契約はその後同年四月五日右組合員二十六名中の過半数にあたる十四名の組合員により、その有効であることが確認せられたこと、(ニ)当時右売買契約による登記は未了であつたけれども訴外加藤清は同日右過半数の組合員により清算人に選任せられた訴外太田貞美に売買代金七万三千五百円を支払つた」ことを認定されているからである。

(乙第十五号証の一、二、三参照)

十四、家屋台帳も権利義務を公証する公簿で、登記簿とその性質を異にするものではない。刑事事件判決では法律上占有がないと認定しているが、その認定にかかわりなく本訴では原告に占有があるものと認定して差支えはない。仮りにそうでないとしても、未登記建物については拠るべき先例もない事案につき、刑法上の占有があると認定することには何等過失がない。又原告に対する起訴事実の内容は、横領罪を構成すると共に裁判所を欺罔して他の共有者のものを騙取しようとする点、その他公正証書原本不実記載、同行使罪に触れる非行があるから、無罪判決があつても実質的な非行が存在する以上、保護されるに価する名誉等の侵害はない。

と述べた。

立証(省略)

理由

一、原、被告間に争のない点は次の事実である。

(一)  昭和三十二年八月二十一日、検察官高木検事が原告を被告人として、原告主張の公訴事実(以下本件公訴事実という)につき千葉地方裁判所八日市場支部に罪名横領罪を以て公訴(以下本件公訴という)を提起したこと。

(二)  本件公訴は、昭和三十二年わ第九二号横領被告事件として右支部に係属、高木検事関与のうえ審理を遂げ、昭和三十三年六月五日被告人である原告に対し無罪判決が言渡され、検察官の控訴なく同判決が確定したこと。

(三)  成東町長作成の回答書(甲第二号証)が無罪判決の証拠として提出され、同回答書に対する訂正書(甲第三号証)が昭和三十三年八月二十一日付で発行されたこと、右発行が既に無罪判決確定後であつたこと。

(四)  右無罪判決において「訴の提起ないし保存登記手続当時、既に本件建物は加藤清ないし加藤静の現実に占有管理」していたものと認定されたこと。

(五)  原告が本件公訴の提起前、成東警察署における取調を受けた当時から、終始原告とその他の出資者との関係につき、原告を営業者とする匿名組合であり、本件建物は原告の所有財産であると供述していたこと。庶民金庫(国民金融公庫)から原告外二十五名が合計金十二万四千円を借受けこれを事業(本件の藁工品製造等)に出資したこと。

二、原告の被告である国に対する、本件損害賠償請求の根拠並びにその骨子は、検察官高木検事の原告に対する本件公訴が無罪判決として確定したこと、起訴並びにその審判により被告の被つた名誉権の侵害及び精神的苦痛による損害は、同検事が捜査上必要な注意を怠つたため、事の真実を把握せず事実誤認に基き、被告人を起訴したことに因るものであつて、その慰藉料を請求する点にある。よつて原告主張の請求の原因事実、並びにその事実から導き出される原告の主張につき、又他面被告抗争の主張事実並びにその事実から帰納される反論につき考えてみるに、はたして高木検事が本件公訴を提起するに当り、何等の過失がなかつたか否か、有つたとしてもそれは当然不可避的なものであつたかどうか、仮りに本訴請求を維持するに足る過失があつたとしても、原告はその過失に基き被告に対し本訴請求を求めるに足る権利があるかどうか、その半面被告において当然原告の本訴請求に応ずべきものかどうか、更に原告の本件公訴事実に関連する行為行動が、その権利保護に価しないもので、従つて本訴請求を棄却すべきものであつたかどうか、即ち原告の名誉権が侵害され、或はその精神的な損害が発生したとみるに足る事実があつたかどうかの諸点、換言すれば互に表裏をなす原被告の主張につき審案してみる必要がある。

よつて(証拠)を総合してみると、次の事実並びにその結論が得られる。

(一)  先づ原告立論の出発点をなす、本件建物等が原告の所有物であるか否かの点は、原告は商法上の匿名組合であるから出資者二十五名は本件建物等に対し共有権はなく、その営業主体である原告一人が本件建物等の所有権者であると主張するが、被告主張(前記第八項参照)のように分会は単なる民法上の組合であると解するのが相当であつて、証拠上も右の見方が妥当である。原告はその主張(前記第十二項の(三)参照)において、「分会と原告との共有として記載されているため、家屋台帳と符合させるため共有者を代表してと記載したのである」といつているのは、将に語るにおちているというべきである。

(二)  又原告は訴外加藤清と代表者訴外太田貞美との間に新契約が成立したと主張しているが、矢張前の原告と訴外加藤清間の契約の履行として、同訴外人が昭和二十九年四月五日、金七万三千五百円を組合代表者訴外太田貞美に支払つて、本件建物等を取得したと見るのが証拠上も妥当であるし、右認定は甲第四、第五、第九号証と必ずしも矛盾しない。

(三)  原告は訴外加藤清との間の本件建物等の売買は、代金支払と同時に所有権移転登記をなし、その時はじめて右物件の所有権が同訴外人に移転することを内容とする契約であつたと主張するが、なるほどそのような契約をすることは、その契約自体有効であると考えられるが、本件においては被告主張のような契約内容で、契約と同時に本件建物等の所有権が、訴外加藤清に移転していたと見ることも亦可能であり、法律的解釈としてはむしろそのように解するのが妥当であるばかりでなく、右認定を覆するに足る十分な証拠もない。仮りに原告主張のようであつたとしても、組合員の共有物であるとの前提に立てば、新契約によつて訴外加藤清に所有権が移つたとみることも出来るのであるから、いづれにせよ、訴外加藤清の所有に帰したことになることにかわりはないからである。

(四)  更に原告は保存登記の必要上、同郷会を被告として本件建物の確認の訴を提起したとの主張も亦認められない。右はまさに原告をだしぬいて、組合の大多数の者が出資金返済のため、訴外加藤清から本件建物の売買代金を受領したことに対する報復手段としてなしたきらいがある。なんとなれば原告はその主張(前記第十二項の(三)参照)において「分会と原告との共有として記載されているため家屋台帳と符合させるため共有者を代表してと記載したのである」といつておるからである。

(五)  ともかく当裁判所は本件建物等は、分会所属の原告を含めて二十六名の組合員の共有に属するものである、と認定したのであるから、仮りに本件建物等に関し、昭和二十九年三月十六日原告が組合を代表して訴外加藤清と売買契約をなし、次で原告主張のように双方合意解約し、更に同年四月五日代表者訴外太田貞美と、訴外加藤清間に新売買契約が成立し、代金授受並びに本件建物等の引渡を了したとみても、何等原告の主張自体に差異を生じない。

なんとなれば、原告が本件の建物につきその所有権確認の訴を、東金簡裁に提起したのは、右新契約(昭和二十九年四月五日)以後のことであるからである。

(六)  以上により原告の本件建物等が自己一人の所有物であるとの前提に立つてなす全ての主張は、当裁判所が本件建物等を組合員である原告を含めての出資者全員の共有者であると認定するのであるからいづれもこれを認め難い。

(七)  本件の回答書(甲第二号証)が偽造のものであるとの原告の主張は認められない。なんとなれば成東町長には、地方自治法第二条第二項、刑事訴訟法第一九七条第二項により、一般的に照会に対する回答書なるものの作成権限があると解するのが相当であり、本件の回答書の記載は、「社団法人房総同郷会成東分会」と表示され、明白に成東町役場の家屋台帳上の所有者の表示である「社団法人房総同郷会成東分会染屋卓爾」と異つてはいるが、右の表示はいづれにせよ、前記認定のようにその所有者として分会を表示したもので、染屋卓爾はその代表者としての表示と解すべきであるからである。従つてその作成権限と内容偽造の文書であるとの原告の主張は認め難い。

(八)  原告に対する無罪判決はその判示中において横領罪の成否についてとして、

(1)  本件の建物が原告(被告人)以外の他人の物であるかどうかの点について、原告他二十五名の出資者の各出資金に応じて、共有関係にあると認定しているのは相当であつて当裁判所としても前記認定のように、原告の匿名組合契約の存在を前提とする全ての主張は認め難い。

(2)  しかしながら本件建物に対する原告の占有の有無についての判断として、「目的物が不動産である場合には、法律上有効に他に処分し得べき状態、換言すれば不動産登記簿上適法な所有名義人として登載されているか、または本件のような未登記建物の場合にあつては、適法な権限に基いて現実に使用管理していることを、指称するものと解するを相当とする。しかるに被告人(原告)が東金簡易裁判所に対し、社団法人房総同郷会を被告として本件建物の所有権確認の訴を提起し、その勝訴判決に基き、右建物の保存登記手続を終えたことは、前示認定のとおりであつて、被告人の右建物に対する領得意思の発現たる、訴の提起ないし保存登記手続当時、既に本件建物は加藤清ないし加藤静の現実の占有管理するところであつたことも、また前に説示したとおりである以上、被告人が本件建物を「占有」していたものと認めるに由なきものといはなければならない」と判示している点は、これ亦当裁判所においても同様の理由によつて、その判示が妥当で理由があるものと解するところであるものと解するところである。

(3)  無罪判決はその結論として、本件公訴事実については結局この点(占有)において犯罪の証明がないとして、無罪の言渡をしているのは、まことに理由の備つた無罪判決であつて、当裁判所の見解も亦同一である。

三、被告の主張に対する判断

(一)  被告はその主張として、前記第十二項において、本件公訴提起は違法ではなく、原告には損害もないと主張している。即ち、原告(被告人)の行為は、公正証書原本不実記載、同行使罪を構成することは明らかであり、なお学説によれば窃盗罪或は詐欺罪を構成することにもなり、従つて訴因変更の手続をとれば、原告(被告人)の行為は、公正証書原本不実記載、同行使罪、或は窃盗罪又は詐欺罪を構成すると主張するが、右のように認定出来るか否かは、これこそ公訴の提起、訴因の変更と挙証とを尽してのち、裁判所によつて審理され、判決により確定されて、はじめて主張し得る事実であつて、単にその可能性があり或は推定できるだけでは、原告の所為が被告主張のような犯罪を構成する場合に該当すると、断定することはできない。又本件公訴の提起が、社会的非難を受けるに値する事実を訴追したので、違法性がないとの主張は到底考えられない。なんとなれば現実に未確定な事実を前提としての主張は、その主張自体不相当であつて、起訴すべからざる法律構成を以て、起訴すべきものとして起訴したことは、違法なものと言うべきである。

(二)  更に被告は本件公訴はその訴因変更の手続をとれば、原告が有罪判決をうけたことは明らかである。即ち起訴にかかる主要事実が、何らかの犯罪を構成する場合は、検察官において単にその法律構成を誤り、そのため無罪の判決がなされたとしても、その事実自体は社会的非難を受け、刑事訴追に値するものであるから、本件公訴の提起はそれ自体違法のものではないし、又実質的な非行が存在する以上、保護に価する名誉等の侵害はないと抗争するが、前叙のように横領罪の構成要件中その主要な点をなす、占有に関する捜査及びその事実認定を誤り、原告を敢て起訴したことは、検察官としては過失があつたものと認めるのが妥当である。その法律構成を誤つたものならば、本件公訴事実並びに罪名、罰条について訴因変更の手続をとり、あくまで刑事訴追を維持すべきであつたのに、前記無罪判決に承服して敢て控訴をせず、右判決の確定を招来した事実は、被告の自認するところである。従つて、その過失に基くものであることは、法律の解釈、運用等所謂法律家としての一員であるべき検察官において、横領罪の構成要件事実に対する捜査不十分のため、本件起訴がなされた以上将に検察官の過失に基き原告(被告人)を起訴したのであつて、よつて生じた損害に対しては被告においてこれが賠償の責任を免れ得ないものである。しかして被告は右の過失は、検察官としてその職務に対する関係における過失であつて、原告に対する関係においては過失ではないと抗争するが、本件の場合は国家賠償法第一条第一項にいう、国の公権力の行使に当る検察官が、その職務を行うについて過失によつて、違法に他人に損害を加えたときに該当する、と解するのが相当であるから右の主張は採用できない。

(三)  なお付言すれば一私人に対比して、ぼう大強力なる人的、物的組織権限を有する国家機関をなす検察官が、犯罪の捜査とその公訴提起に当り、その法律構成を誤り、しかもその誤りが比較的容易に気付き得る又その法律構成上欠くべからざる訴因をなしている事実につき、十分な捜査、判断を加えることなく、過失により当然知り得べきものを知らずして、本件公訴を提起したものであつて、これこそ過失があつたとして、そのために生じた損害の賠償は、当然国である被告において負うべきものとなすべきである。

本件は単に無罪判決において、その証拠の取捨判断を異にし、ひいて無罪の言渡を受けたものではなく、公訴事実自体に内在する欠陥、即ち前記のような被告人(原告)の占有の事実の不存在に起因する、無罪判決である以上、到底被告の抗弁は認められない。更に一般に刑事被告人は、審理の結果有罪の判決が確定するまでは、単なる被疑者であつて、被告事件につき有罪者の取扱を受けるものでないことは、新刑訴において、被告人と検察官とが対等の地位で相対立している事実によつても明白である。

従つて何等かの過失に基き、不当な公訴の提起に対しては、被告人はあくまでその非違を追及し得べきものと解するのが相当である。なんとなれば検察官は十分この点に考慮を払つて過誤なきを期すべき、当然の責務を有するものと考えられるばかりでなく、十分な捜査と確信ある証拠によらず、漫然として犯罪ありとして被疑事実につき人を起訴することは、到底許されないからである。しかも審理の結果無罪判決を結果することになり、何等被告人において、その被つた損害に対し救済の途がないとしたならばどうであろうか。

(四)  人である以上各人にはそれぞれの名誉権があり、日本国民たる原告には、原告なりの名誉権があつて、何人もこれを侵害してはならないものであることは、人としての基本的人権から流出する権利であつて、従つてその侵害に対しては法律によつてその賠償を求め得るものと言うべきである。名誉権の侵害に対してその救済が認められない名誉権というが如きものは到底考えられない。

以上の認定に反する証人高木陸記の証言は、当裁判所と見解を異にするもので採用しない。

四、果して然らば原告の本訴請求は、原告の地位経歴等について十分な立証(甲第六号参照)はないが、慰藉料として金十万円の支払を求めている金額は、当時の物価等を勘案してみても相当であると認められるから、被告は原告に対し金十万円及びこれに対する訴状送達の翌日である、昭和三十五年十月二十日から完済まで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をなすべきものとす。よつて訴訟費用の負担につき民訴第八十九条により、主文の通り判決する。

千葉地方裁判所八日市場支部

裁判官 秋 本 尚 道

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